Institute for Strategic Studies, in collaboration with the Ministry of Foreign Affairs of Mongolia held a roundtable discussion between the H.E Enrique A. Manalo, Secretary for Foreign Affairs of the Philippines and representatives of Mongolian research institutions and think tanks. Research fellows and professors from the ISS, Diplomatic Academy of Mongolia, Mongolian Academy Of Sciences, National University of Mongolia, the Mongolian University of Science and Technology and The University of the Humanities participated in the discussion. The participants discussed the foreign policies of both countries and shared views on international and regional security perspectives, engaging in a Q&A session.
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モンゴルにおける日本人死亡者慰霊碑について
著者:トグミッド・スフバートル・ジャルガルサイハン・メンデー 翻訳者;スミヤ―・バーサンフー 1980年代、フジルブランにある陸軍学校の射撃場では、モンゴルで死亡した捕虜の墓地まで日本からの旅行者が車で向かうことを許可するため、指揮官らが射撃訓練を一時中止した。墓地は射撃場の近くにあった。同じような場所が首都郊外のダンバダルジャーにもあった。現在、その墓地からの遺骨はすべて祖国に送還され、ダンバダルジャーには慰霊碑が建てられている。この交流を通じて、戦争の記憶は徐々に友情の記憶に置き換えられていったのである。これは、モンゴルと日本の間の完全なる和解と信頼醸成の最も良い例の一つである。今、モンゴルにある他の戦争の古跡がさらなる協力の機会を与えてくれている。今こそ、モンゴルと旧ソ連、そして日本が戦った「ハルヒン・ゴルの戦い」(日本では「ノモンハン事件」として知れている)の地ドルノドにおいてモンゴルと日本の軍事史家、考古学者、技術者たちが協力する時である。 ウランバートル市、ダンバダルジャーにある日本人死亡者慰霊碑の庭園、2024年 モンゴルにおける戦争捕虜 第二次世界大戦終結時、ソ連は64万105人の日本人捕虜のうち、12,318人をモンゴルに移送した。日本人捕虜を受け入れるため、モンゴル政府は1945年8月31日に捕虜総局を設立し、彼らが到着する前の1945年11月までに収容施設を整えた。捕虜たちは主に建設労働に従事させられた。官邸、オペラ劇場、外務省、エルデブ・オチル映画館(現在の証券取引所)、第一助産院、国立図書館、モンゴル国立大学、イフ・テンゲル政府複合施設などが日本人捕虜の手によって建てられた施設である。さらに、多くの捕虜がセレンゲ県、アルハンガイ県、トゥブ県に送られ、県や郡での農業や建設作業に従事していた。アルハンガイ県の捕虜は、仲間たちのために魚を調理するため、ウギイ湖における漁業産業の基盤を築き上げた。ダンバダルジャー修道院は、最も多くの捕虜が入れられていた収容所(バラック1として知られている)であり、また日本人捕虜の野戦病院の役割も果たしていた。 準備が整っていたにもかかわらず、モンゴル国には、国として捕虜を扱った経験は一切なく、必要な生活環境を提供することが経済的に負担が大きかったため、捕虜の受け入れは困難を伴った。夏は40°C、冬はマイナス30°Cにまで達する厳しい大陸性気候に栄養不良、過酷な労働まで加わって捕虜たちは消耗しきっていた。1947年10月、モンゴルで苦難ののち、12,318人の捕虜のうち戦争犯罪人50名を除き、10,705人が日本に帰還できた。この50人の犯罪者たちは服役のため1957年までモンゴルに残された。最終的に、1,618人の捕虜がモンゴルで亡くなり、彼らはウランバートル市のダンバダルジャーやフジルブラン、セレンゲ県やアルハンガイ県など、16か所に埋葬された。 慰霊碑の庭園の段上の景色、2024年 認識 1965年まで、日本ではモンゴルでの日本人死亡者の墓地について知られていなかった。その原因は(1)両国間に外交関係がなかった事(2)冷戦時に異なる陣営に属していた事である。1965年にウランバートルで開催された国連セミナーに出席していた日本の外務省の外交官、花田麿公(のち1999~2002年駐モンゴル大使、日本語訳者注)と崎山は、モンゴル外務省の役人に日本の捕虜埋葬地を訪問する許可を懇願したことにより、モンゴル外務省の儀典官であったニャムジャブ女史が、彼らをダンバダルジャーに案内したのである。日本の外交官たちは、墓地の写真を撮り、本国の外務省に報告した。その際に拾った現地の石を厚生省に届けた。その石は金槌で小さく割られて全国のご遺族へ送られた。そして、石の欠片を受け取った家族のニュースは、日本放送協会(NHK)によって放送された。すぐに、国会議員の中からモンゴルに参墓団を派遣する事が提案された。その年に、元外務大臣で未帰還者同盟会長の藤山愛一郎議員は、モスクワの日本大使館を通じて、ユムジャ・ツェデンバル首相にモンゴルで消息不明になった27人の情報提供を求めた手紙を送った。ツェデンバル首相からの歓迎の手紙を受け取った後、日本の厚生省(当時)が率いる第1回墓参団が1966年にモンゴルに到着した。この墓参団には、国会議員2、外務省員2名、厚生省員2名、記者代表1名、モンゴルで家族を失ったご遺族8名が含まれていたのである[1]。この訪問を通じて、二国間外交関係の設立に向けた協議が開始され、1972年に正式に締結された。 [1] Article “「モンゴル抑留問題は未解決」〜花田麿公元大使に聞く” by Kanako Onishi , December 19th, 2020. (https://shorturl.at/bjlw6) 墓地で長谷川峻団長が墓碑に水をかけているところ(左)、墓碑の状態、2024年(右) 遺骨の本国送還 1982年から、日本側の要請により、モンゴルと日本のチームが協力して、埋葬された各人の名前を調べ、捕虜番号を照合した。モンゴルの記録によると、捕虜は合計12,318人、そのうち1,621人が死亡としているに対し、日本の記録では、捕虜が合計13,847人、そのうち1,684人が死亡したとなっている。この相違の理由を明らかにするためには、古い記録等を調査したり、日本人捕虜が秘密裏にモンゴルの国籍を取得し定住したという地元の噂の真偽を確かめるなど、さらなる調査が必要とされた。しかし、それは1991年まで実現不可能であった。1991年、冷戦終結後、モンゴルと日本はより親密な二国間関係の新たな章を開くこととなった。日本政府はすべての遺骨の収集及び返還を要請した。モンゴル政府はこの要請を受け入れ、1997年までにすべての遺骨を本国に送還し、モンゴルには名札のみを残した。2001年には、ダンバダルジャメーに記念公園が設立され、日本人観光客にとって最も魅力的なスポットの1つとなったのではないでしょうか。この場所には、海部俊樹、小泉純一郎、安倍晋三の歴代首相たちも訪問した。特に、小泉首相は1997年に厚生大臣時代に、遺骨収集事業の完了を祝うためにダンバダルジャーを訪れ、ご遺骨収集事業に関わったモンゴルの人々に感謝の意を表した。 結言 このようなモンゴルと日本の政府および人々の建設的な協力は、過去の紛争の傷を癒し、生産性及び信頼性のあるパートナーシップへの道を開く素晴らしい実例となった。日本の要人や捕虜の家族、そして観光客たちは、第二次世界大戦後に捕虜となり、モンゴルで死亡した日本兵を追悼するために、ダンバダルジャー記念公園に立ち寄っている。これらの兵士たちは、確かに、モンゴルの近代都市の建設や農業産業の発展を通して、モンゴルに貢献してくれた。次の段階として、両政府は協力し、戦場を清掃し、戦争遺跡を発見し、最終的にはそれを記念することで1939年のハルヒン・ゴルの戦いの傷を癒し、若い世代がそのような戦争の恐ろしさを理解し、さらなる平和な協力のための道を開拓するのではないだろうか。 謝辞:著者らは、モンゴル在住のプリンストン・イン・アジアフェローであるヘス・ソン氏に、文献探索とコピー編集をしていただいたことに感謝したいと思います。 日本語訳者謝辞:この小論文を英語より日本語に翻訳するにあたり、協力してくださった日本の防衛大学校の教官木下哲生准教授に心より感謝申し上げます。
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